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ESGが企業運営に与える影響

はじめに

近時、ESGという言葉を耳にしない日はありません。環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の3つから構成され、その重要性は社会のあらゆる場面で繰り返し主張されています。 
かつて、高度経済成長期の日本では環境への十分な配慮がなされていませんでした。結果として各地で環境汚染が進み、公害病が引き起こされたのは周知のとおりです。これに加え、昨今の日本では、社会とガバナンスの関係性がますます注目されています。 
まず、コンプライアンス違反を原因とする倒産事件や紛争事件といえば、伝統的には不適切会計を原因とする、次の3つのケースが多かったといえます。第一の類型は、経営者が不適切会計に基づいて積極的に資金調達を行おうとするケースです。これとは逆に、第二の類型は金融機関からの貸渋り・回収を避けるために、やむなく不適切会計を行うケースです。第三の類型は、海外子会社での不適切会計を原因とするケースで、グローバル化の波に乗って海外に拡大したものの、海外子会社への管理が行き届かず海外子会社で問題が生じる場合が考えられます。これは近頃、増えてきていると言われます。 
さらに最近では、こういった会計不正以外の新たなコンプラ違反が問題となるケースが増えてきています。これはコンプラ違反の概念が変化すると共に、コンプラ違反に対する社会的制裁が厳格になっていることが原因です。

人権尊重と日本社会

コンプラ違反に関する概念の変化としては、人権侵害に対する問題意識の拡大が挙げられます。具体的には、2022年9月、日本政府は「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン」を公表しました。この考え方は、すでに国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」や経済協力開発機構(OECD)の「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」で確立されている考え方と変わりませんが、日本における人権デュー・ディリジェンス(HRDD)の存在感が高まっていることを示唆しています。 
海外で調達・生産を行う多くの日本企業にとって、HRDDは高尚な理念ではなく、海外進出か撤退かの行方を左右する経営課題となっています。 
また、人権侵害は日本国外だけで起きているわけではありません。国内では、長年にわたり名門だとされてきた企業であっても、深刻な人権侵害を犯した海外企業との取引を継続することの社会的妥当性や、そのような企業との関係が企業価値に与える影響が重要視されているといえます。 

ここでは①そもそも人権侵害とは何なのか、②なぜ人権侵害が意識されるようになってきたのか、といった点を確認する必要があります。 
①に関して、「人権」という概念は法学の世界においては広く知られている概念です。②について、一般社会においては、後述する労働権やプライバシー権を除いて、それほど浸透してはいなかった概念だと思われます。 
一般的には、人権というと、意識が高い人が言及する概念である、あるいは歴史的に差別されてきた人が侵害された権利である、といった理解が多かったように思われます。しかしながら、法律の世界、特に憲法では13条以降に列挙された権利であり、誰もが享有し得る普遍的な権利であると解されます。 
ここで注意が必要なのは、人権というものは13条以降に列挙されたものに限定されず、新しい人権というものが(社会情勢に合わせて)発生し得るということです。例えば、プライバシー権や環境権といったものは現行憲法には列挙されていません。そのため、どういうものが新しい人権として観念し得るかということについて、アンテナを働かさないといけません。

人権保障が重視される背景

次に、なぜ人権侵害が意識されるようになったのかというと、さまざまな要素が考えられます。 
第一は、経済的格差が広がってきたことです。経済学者のトマ・ピケティ氏によると、第一次世界大戦以前は、経済格差が大きかったのに対し、第一次世界大戦・第二次世界大戦を経てその格差は縮小していったものの、その後、冷戦の終了によって再び経済格差が拡大していったといわれます。 
本来、経済格差は、国家によって解消されることが1つの方法として期待されますが、現実には国家の努力によってのみでは解消に至らず、(民間企業の経済力や国家を超えた活動を行える)民間企業の協力も期待されるようになったと考えられます。 
第二は、政治的体制に対する批判の一環として、人権侵害というものがクローズアップされてきたことです。例えばミャンマーなどでは軍事政権による統制に対して人権侵害という切り口で批判がされています。同様にロシアのウクライナに対する攻撃に対しても、人権侵害が問題となっています。もちろん、「ミャンマーにはミャンマーの」「ロシアにはロシアの」言い分があるでしょうが、現実には西欧社会においては人権侵害という切り口の対象になっているという点に注意が必要です。

外部から見たガバナンス

人権侵害が意識されるようになったもう一つの要素は、ガバナンスの問題です。格差社会やSNS社会の拡大は、日本だけでなく世界的にも「非を正当化しない」社会をもたらしつつあります。このような状況下では、ガバナンスに関する不祥事も「企業のアキレス腱」となる可能性が高いといえます。さらに、そのような不祥事を起こした企業が再建するためには、収益性の回復だけでなく、事業継続に関する社会的受容性も考慮する必要性が高まっています。 
 この点を少し深掘りすると、ハラスメントに対する批判が高まっていることを多くの人が認識しているかと思います。しかしながら、ハラスメントに対する意識は、各世代によっても異なると思われます。世代によっては「昔はこの程度はハラスメントにならなかったのに」と思われる方もいるかもしれません。しかし今ではハラスメントは、もはや労働法の問題だけでなく、企業経営上の問題にもなっています。 
こうした社会の変化には、いくつかの理由があると思います。具体的には、①人権意識が高まったこと、②現代社会において情報の伝播性が高まったこと、③ルールを遵守していない人への制裁意識が高まったこと、④社会が理性による解決を求めつつあること、と考えられます。 
人権意識についてはすでに述べたとおりですが、そこに加え、インターネット・ソーシャルメディアなどによって、遵法性の意識が欠けた行動を行う企業への問題提起や問題意識の共有は、容易になってきています。これらのツールは匿名で発信でき、ユーザーにとって極めて使い勝手がよくなっています。 
このような意識の高まりと使い勝手が、ルールを遵守しない者に対して、制裁として向かっていきます。具体的には、「(自分たちは)ルールを守っている」という集団意識が、ルールを守らずに利益を得ている個人または法人に対する批判として具現化することになります。そしてそのような批判は「理性による解決」という正当性を得ることで、加速化します。 
昔であれば、「頑張ることが大事だ」「汚いものの中に真実がある」という考え方もあったかと思いますが、そういう考え方の硬直性や多様性の欠如が理性というものによってパージ(追放)されていくことになります。これは、「白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋ひしき」の逆ともいえるでしょう。 
このような社会の流れに抗うことは、現状では難しいと思われます。これは日本だけではなく、世界的に起きている現象です(他方で、米国などでは揺り戻しが起きているともいわれますが)。 
実際に金融機関の方と話していても、「最近は(従来型の)善管注意義務のみならず、レピュテーション(評判・風評)リスクについての意識も強く求められる」と聞くことがあります。これには社外取締役の発言力の向上や企業倫理についての考え方の変化が影響しているものと思われます。 
以上の点を踏まえると、社会では正しいことをして利益を上げるべきだという考えが強まりつつあり、企業は利益を上げるだけではなく、この流れを前提に企業運営をしていくことの重要性を踏まえる必要があるといえます。